はじめに

アウトプットをしたい、という思いだけでこのブログを作りました。

自分なりに考えに至らない、せっかく人と話をしているのに内容が頭に入ってこない、というような事を感じるようになりました。

その原因は情報量が多すぎで咀嚼できていないことではないかという仮説の基、どうすればよいのか考えました。

その結果、一旦アウトプット量を増やすことにしました。

アウトプットをすることで入ってきた情報を自分の頭になじませることが目的です。

よって、このブログは他人に見せることを目的としていません。

 

アウトプットを増やすということ。

学校には、予習と復習がありました。

また、授業とともに演習、そしてテストがありました。

特にこの演習、テストは、可能な限り授業の内容を反映させようと設計されています。

ここで生徒はインプットした情報を、自分の体を通じてアウトプットしました。

 

このように学校体験を省みたときに、このことが今自分に必要なことだと感じています。

英語を読んで理解できること、数学の回答を読んで答えに納得できることと、英語で話が出来ること、数学の問題を解けることは違います。(たとえ同じ問題だったとしても)

 

今社会人になり、インプットした情報を自分の体を使ってアウトプットする機会は減っているのかもしれません。

 

広告会社のクリエイティブ職の思考が深くなるのは、そもそも深い思考をしているということだけにとどまらず、常にアウトプットをしていることで身につくものかも知れません。

インプットの量と質について

アウトプットについて一つの考察をしました。

インプットについてはどうでしょうか。

スマホを使い、一日中メールとラインとフェイスブックから情報を集め、ニュースをみて、それから2チャンネルのまとめを見る。よく考えるとインプットする情報量は膨大です。

この傾向は最近非常に顕著になってきていると感じています。インプットの質を上げながら量を制限することが求められるでしょう。

量を制限する事は非常に重要ですが、幅を狭めすぎるのはよくありません。

個人としてのオリジナリティを損なうことになるからです。

そのために、私は幅の広い人付き合いをしたい。そして、話したことをインプットとして取り込めるようになりたい。

そのためには、スポンジのようになることが必要ですが、最近、人と話をしたことをすっかり忘れてしまうことが多いのです。

 

アウトプットとインプット

人の話が頭に定着しないことについて、二つの仮説が考えられます。

 

①頭には入ったが忘れた

②そもそも頭に入らない

 

①にはアウトプットをこまめにすることが非常に有効でしょう。

②とアウトプットは関連しているでしょうか。

実は今回アウトプットをしようと思い立った理由は①では無く②でした。

それは、インプットがうまくいっていないのは、人の話の理解力であったり、そもそも興味を持つ、という段階に原因があると感じたからです。

頭の中には整理をするべきものがたまっている。という感覚です。

 

これはあまりロジカルではないかもしれませんが、そもそもロジカルが何かわかりませんが、ひとまず半年ほどやってみようと思います。

 

ということで今回の文章を終わります。

もし呼んでくれた人がいましたらありがとうございました。